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【コミュニティメンバー】アーティスト 立石従寛へインタビュー

更新日:9月26日


今回の記事ではSG Labのコミュニティメンバーとして活躍する立石従寛さんにインタビューを行いました。御祖父様の影響で機械と人間の協調を考える哲学が身近にあったといいます。そんな従寛さんが、どのような経験を経て現在アーティストとして活躍なさるのか、ぜひ注目してご覧ください。


従寛さんのご経歴


1986年シカゴ生まれ。東京・ロンドン拠点の美術家、エキシビジョンメイカー、音楽家。2017年に渡英し、Royal College of Artにおいてファインアートフォトグラフィー修士号を2020年に取得。修士論文「It can sing; it can compose; it can shoot」で首席。ノンヒューマンを考察。


幼少期の6カ国での生活で得たボーダーレスな価値観


私はもともと父の仕事の関係で、アメリカのシカゴで生まれました。その後もトロントに引っ越したり、日本やオランダの小中学校に通ったりするなど、多様な環境で幼少期を過ごしたのを覚えています。

こういった異文化圏で暮らす中で、母がよく美術館に連れていってくれていたことが、私とアートの出会いでした。

言葉を介する必要のない美術や音楽は、異国で暮らす私にとって大事なコミュニケーションツールでもあり、これまで何度もアートに救われたと思っています。


また幼い頃は、父からよく祖父の話を聞かされており、祖父の哲学や考え方については高校生くらいから興味を持ち始めました。

幼少期にアートに人生を支えられたこと、そして祖父の存在。アーティストとして活動する現在において、これらの影響はとても大きかったです。


アーティストという生き方を選んだきっかけ


大学院を卒業してからはしばらく自身でスタートアップ経営を行ったのち大手電気機器メーカーに入社し、4年ほどサラリーマンを続けていました。

しかし自分の中では何かが悶々としていて、義務感で働き続けていたようにも思えます。

そんな中で第一子の懐妊が分かった夜に、「やっぱり自分はアートをやらないといけない、子供が大きくなった時にかっこいい背中を見せられるようでありたい」と思い、アートの道に再度進もうと決意しました。


アートの世界で生きようと思った理由は、幼少期の体験が強く影響していると感じます。

日本ではずっと才能のない子供だと言われていて、”普通じゃない”という理由から両親が学校に呼び出されることもありました。しかし中学時代を過ごしたオランダや、そのほか海外では自分の作品を高く評価してもらえることが多く、美術や音楽のおかげで言葉を超えて友達ができることもあったほどにはアートに救われていました。


他にも、日本で過ごした高校時代にはひょんなきっかけでいじめられていた過去もありますが、音楽の大会で賞を取るようになったことをきっかけに周囲からの反応が180°変わったことも、芸術に助けられたことの一つです。

美術や音楽を通して、私はたくさん救われた過去があります。だからこそ「アートで世の中に恩返ししたい、アートってこんなに素敵なんだよ」ということを世に共有したいと思ったことも、アーティストの道を決心した理由の一つです。


とはいえ仕事を辞めるためには家族を納得させる必要がある。そう考えた結果、「世界一とされている美術大学に一度だけ挑戦し、落ちたら今まで通り堅気な道で働く。でも受かったらアーティストとして挑戦したい。」と家族を説得し、イギリスの美術大学を受験しました。

もちろん難関な大学ではありますが、当時の私は漠然と「やれんことはない」と思っていて、実際無事に合格が決まり現在に至る、というのが私のアーティスト人生のきっかけです。


SINIC理論が作り出すアートの軸


イギリスでの美術大学時代に、論文と制作の軸となっていたものが「人工知能×SNS」という観点です。


美術大学在学当時、学生の大半がネイティブに西洋哲学に囲まれた教育を受けてきた環境にあり、当時の私では講評はもちろん、議論の場にすら入り込んでいけないと感じていました。そのため、まずは一通り哲学書を読み込み、勉強していく中で、自分のユニークな強みは人工知能を哲学できることだと思いました。そこから、人工知能と人間の共存をテーマとした制作であれば自分の強みを発揮できる分野だと定めました。


ここには祖父の哲学の影響が大きく関わっています。それは人と機械の協調という考え方です。祖父は人と機械は共存していくという思想を持って事業を行っており、私もその哲学を子供の頃から聞かされていました。

美術史の視点だと、この100年は自然物を人工的空間にインストールする人間優位な作品が多く制作されていました。

この文脈を継承しつつ、私は、この関係を反転させた、人工物が自然の中に入っていくようなイン”トゥ”スタレーションの考え方を掘り下げたいと思っていて、最近はそんな作品を作ったりしています。


また作品を作る上で、大きく影響しているものに「SINIC理論(*1)」というものがあります。

*1 SINIC理論:社会のニーズを先取りした経営をするための未来社会を予測した理論のこと。オムロン株式会社の創業者である、立石一真が1970年の国際未来学会で発表。人間の進歩意欲を基本としながら未来の社会がどのようになるのかを、科学、技術、社会の観点から予測した理論。科学の進化が社会に影響を与えると同時に、社会のニーズが科学を進化させるという関連性を示している。

社会がどのように流れてきたのか、そしてこれからの流れ、といったことは体感的にこのSINIC理論によって染み付いていて、その要素は作品にも取り込まれています。


世の中にSDGsという言葉が流行り出した頃、人間が自然にどう介入していくのかを考える人が多くなりました。

しかしこういった議論も、消費されることが前提にあった上での生産の話であったり、あくまで経済主体であったり、といった部分に違和感を覚えており、SDGsに貢献する行動の中でもっと自然のことを考えたり、理解していることが必要だと思っていました。

なので私は、そういった人間と人工物の中に自然という観点を盛り込んでいくような作品制作を行っています。


また最近では、公開されてから実際に起きたことをふまえた上でSINIC理論を再計算してみたりもしました。結論として予想される未来はいい意味でそこまで変わらなかったのですが、その理由としては、SINIC理論は自然の摂理をベースに考えられているからだと思います。

私の作品が人間と人工物に加えて自然という観点も含めたテーマになっているのも、根本にはこのSINICの考え方があるからかも知れません。


アートが社会を変える


アートには、人々に何かを気づかせることができたり、新しい見方を与えるような役割があると思っています。

「私はこんな世界になったらいいんじゃないかと思っている、こんな世の中を見たい」という思いを、鑑賞者に作品を通して提言していくことは、間接的に社会を変えることにつながるかもしれません。


イギリスに留学した際に、いい作品とは「作家と鑑賞者と社会(Me、You、Us)が全てストーリーとして繋がっている」ものだということを学びましたが、まさにその通りだと思います。

制作をする上で、見た人がこう変わってくれたらいいな、ということはよく意識していますが、その鑑賞者の変化によって少しでも世の中が変化するきっかけを生むことが出来たら、それは私の思う世界や見たい世の中を実現させる1歩です。

作品を通してまずは、アートっておもろいんだよ、と分かってもらうと同時に、新しい視点を共有していくことが出来たらと思っています。


まとめ:インタビュアーより


今回SG Labのコミュニティメンバーである従寛さんには、アーティストという視点からさまざまなお話をしていただきました。

インタビューの中でも「アートには新しい見方に気づかせる役割がある」とおっしゃっていましたが、これは新規事業の創出において非常に大切な役割だと感じます。

SINIC理論が従寛さんにとって迷った時の羅針盤であるように、アートという存在が世の中にとって困った時の一つの頼りどころとして、もっと社会に浸透していけばいいなと思いました。

そのためにもまずはSG Labの取り組みとして、事業創出にアートの要素を取り入れていくことで、それらが新たなアイデアを生み出すきっかけになることを社会に示していけたらと思います!

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